アーカイブ: 沼田藩記 - ページ 5
沼田藩真田氏〜破局の渕に近づく
真田五代伊賀守信澄は、江戸両国橋かけ替え用の材木を請負ったものの、色々の事情で約束の納入期日にどうし…
沼田藩 伊賀守信澄の城主としての行跡(4)
信澄の暴政は必ずしも信澄自身から出たものではなく、側近の奸臣等によって敢えてなされた事柄もあろう。し…
伊賀守信澄の城主としての行跡(3)
五代伊賀守が襲封したときの沼田藩の表高は三万石といわれているが、実は四代信政の時代、この領主は「開発…
真田伊賀守信澄の城主としての行跡(2)
彼等奸臣共にして見れば、決して私腹を肥やすためとか、ある陰謀を企てたとかいうわけでもなく、唯先見の明…
沼田藩 真田伊賀守信澄の城主としての行跡(1)
伊賀守信澄は、幼きころは喜内と称し、後に兵吉と改め、更には成人して城主となったころは信澄となる。つい…
沼田五代城主真田伊賀守信澄の人となり
信澄は、沼田二代城主河内守信吉の妾腹に生れ、幼名喜内慶安四年(一六五一)十七才の時に従五位伊賀守に任…
沼田・松代との対立 〜 真田信之(信幸)の死
沼田・松代との対立 沼田四代城主信政が、信幸隠居後松代十万石の城主となったのは明暦三年七月二十三日(…
松代領主相続問題はじまる
松代領主相続問題はじまる 正に晴天の霹靂、一年前に沼田から松代にきた新城主信政が、こんなに早く亡くな…
真田信政、松代の領主となる 兵吉、沼田城主となる
真田信政、松代の領主となる 初代沼田城主となり、次には父昌幸の後を継いで上田城二代目の城主となり、更…
沼田四代城主真田信政の治政
老公信幸の裁断によって内紛の危機も一応去ったとはいうものの、決して正論によるものでなく、一時的に糊塗…