昭和55年当時の沼田公園
沼田旧藩主久米民之助氏は、かつての倉内城址が、私有地に分割され荒廃の極に達している状態を嘆き、これを公園に構築しょうと私財を投じて買戻し、大正五年工事に着手する。
大正十五年、十万九千三百十五㎡に及ぶ広大な公園敷地を沼田町に無償譲渡し、引続き昭和四年より第二期工事を開始するが惜しくも業中ばにして昭和六年五月二十四日、久米氏逝去さる。
昭和二十八年、都市公園法の適用を受け、以来市当局が積極的に整備を推進、その名も「沼田公園」と制定し近代化をはかる。
恵まれた四囲の景観と相俟って、今や関東屈指の名園となり四時市民及び観光客の利用で賑わう。
現在(昭和55年)、公園の各施設、記念碑等も充実し、見るべきものが多い。(注:画像は平成29年撮影のものです)
「沼田公園」の現状紹介
南西高台上の「あずまや」は、本公園の一大展望台ともいうべく、ここより南を眺めた景観は比類なく大きい。雄峰子持山を一望に収め、山裾の極まるところ綾戸の峻険が指顧のうちにある。脚下数十メートルの断崖に続く榛名町、清水町、薄根町の屋並みはさながらパノラマを見るようだ。
更に北方に目を移せば、松の木立を透して広場一帯にひろがる花壇は華麗さにおいて第一等の眺めである。かつては一面の雑草におおわれていたこの広場で、競馬、自転車競争、サーカス、大相撲等数々の催物が行われたが、近時整備された花壇の状態からは想像をも許されない。
(注:平成29年現在は鐘楼の脇に移築されています。デザインも自然に調和する巨石を基調にしたものに変更されています)
「あずまや」の直ぐ近くに見られる近代的なデザインの碑は、去る昭和十八年十二月八日に建てられた「沼田の歌々碑」である。「沼田の歌」は昭和三十一年三月十七日、NHK全国放送の「ふるさとの町沼田市を訪ねて」に際して西沢爽氏作詞、平井康三郎氏作曲によるもので、誠に格調高く市民に愛唱されていた。碑は沼田市音楽協会提唱のもとに市が建設した。
春の日を惜しむ鐘の音
暮れのこるお城の桜
わが町を
美しといくたびおもう
山の上に町の灯つゞき
山下に駅の灯ともる
に始まるこの歌は、沼田の詩情をいみじくもうたいあげ、町に住む人々の心をゆさぶる。
ところがこの歌碑、建造にやや粗雑の点があり最近破損の個所も生じたので、今回新たに造り直すやに聞いている。いずれ完成のあかつきには面目を一新するであろう。
広場の花壇は最近管理も行き届き面目一新し、四季折々の花が咲き乱れ、正に絶好の散策地となった。
広場の周辺には各種の動物は飼育され、緑したたる木立と共に目を楽しませてくれる。
木立といえば広場北部高台にあるこれらの木は公園築設にあたって植樹したもの、もともと高台そのものが大正五年の工事の際人力によって盛立てた岡だ。うっそうと茂るこれらの樹木を見るにつけ六十数年の時の流れを今更のように感じる。
昭和九年十一月に在郷軍人会が中心で建立したもの、正面の狛犬は竣工記念として愛国婦人会沼田分会が奉献、見れば昭和九年十一月三日と刻んである。この年は天皇陛下が群馬県に行幸された記念の年でもある。
神社の右に見られる一組の角石は、昔沼田城の大手門の柱を支えるために用いられた「沓石」である。当時大手門は現在の沼田小学校正門付近に建てられてあった。
続いて見られる碑は朝鮮民主主義共和国民が帰国に際し沼田公園のために
染井吉野 九拾株
八重桜 拾株
つつじ 四株
計 百四株
植樹した記念に建てられたもの、碑面に一九六〇年三月(昭和三十五年)帰国記念植樹朝鮮民主主義共和国 帰国者一同 在日朝鮮人総連合会沼田支部とある。
さてめぐりめぐって又正面入り口に戻ってきた。
今は夜間照明設備も完成したテニスコートの南面の道を通って見よう。かつてはこの付近に土峻家が健立した「不動院」のお堂があった。明治維新後取り払われて本尊不動明王は唯今西倉内町東禅寺に安置されている。
このグランドは途方もなく広い。戦前、高千穂高商ラグビー部が毎年夏になると合宿して練習に使用していた。
久米さんの構想はこのグランドは陸上競技専用にし、野球場は別に作る予定であったが、前述の通り事業なかばにして長逝されたため、現在は野球場二面に使用してはいるものの、なにか中途半端な利用で折角の空間が完全に生かされていない憾みがある。もはや現在となっては専用球場を新設することは不可能な程、周囲に住宅が建てこんでしまった。
いうなれば沼田の公園は久米さんの壮大な構想が生かされないまま今日にいたってしまった。当時にあって受入れ側の沼田がもっと本腰を入れて遺志を生かしていれば、今日の悔いはなかったろうに………と惜しまれる次第だ。
この広場の東側に子どものための各施設が用意されているが、さして利用されていると思えない。
グランド南側にひときわ目立つ「けんぽなし」の巨木がある。かつては北側にあったものをここに移植したが樹勢きわめて旺盛、現在は数多い園内の植物中一応名木の名をはずかしめない。
樹の根元にある碑は、昭和三六年一二月二一日沼田ロータリークラブが建てたもの、碑面に四つのテスト
言行はこれに照らしてから
1、真実か、どうか
2、みんなに公平か
3、好意と友情を深めるか
4、みんなのためになるかどうか
沼田ロータリークラブと刻んである。
以上で大体の紹介を終った。今一周して東入口に立ってふりかえると、この付近一帯の木々のすばらしさに改めて目を見張る。六十年の歳月を確実に受けとめて生々発展したのは園内に植えられた樹々であった。
さて、六回にわたって連載した「公園ものがたり」もそろそろ終りに近づいた。ふりかえって「沼田の公園とは……」と問われるならば、私は
・眺望
・樹木
そして、その背景として
・数々の歴史的事実
・久米氏の壮大な気宇
をあげたい。
沼田の誇り得るこの一大文化財を私達市民は今後どのように受け止め、後世に遺すか………これは極めて困難な事業であると共に限りない誇りと夢を秘める命題であると絡んで筆をおくとしよう。
沼田万華鏡より
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